奥居合に対する心構え

奥居合、即ち奥居合之部居業並ぴに立業の各業前は、正座 ・立膝のそれぞれの基本的技法の修練が十分出来てから修得 すべきものである。思うに正座の業前は、居合道技法全般に 対する真の基本技法であり、立膝の業前は、正座各業の基本 方技を通じて英信流としての基本技法である。奥居合はこの 両者の技法が程よく身についてから、相手に対する応変的な 数々の修練を目的とするものである。これを書道で言えば、 正座の部は楷書体であり、立膝の部は行書体であり、奥座居 の部は草書体とでも言うべきものであろう。それ故に、楷書 が十分出来ないのに、直ちに草書をたしなんでも誠に不合理 なこととなるし、また真の基本を会得しない故、上達もいか がなものかと考えられる。我々の居合道修練も、それと同様 誠に至難なもので、またそれ故に、修練の仕甲斐もあるやに 感じられる。奥居合と雖も、総て基本技法を通じての多様な 技法でなければ、それ相当に価値づけられるものではなく、 また細部に亘る個々の基本技法が連鎖し、変化し、そうして 激しい所作となり、多くの相手に対する複雑微妙な所作を形 成することとなる。外観的には全く異なった技法のように考 えられても、これ等は皆、それぞれの基本技法に適合したも のの連鎖運用きれる力技に外ならない。故に奥居合と雖も、 基本技法より離れての方技とは言い難いものである。このよ うに考える時、複雑微妙な方技と雖も、部分的基本技法を適 確に実施し、そうして連鎖し、激動する所に微妙な妙技を生 起し、正座や立膝の業前とは異なるような妙味をかもし出す のである。奥居合の各業前を通じ、特に異なる点は次のよう なものである。



1.足音を立てないこと
正座業並ぴに立膝の業は、それぞれの基本技法であり、 彼我の関係も一対一の場合故、足首を立てて演武しても何 等支障のないものとし、また、気剣体を一致せしめるため、 尚更に足音を立ててみることさえ考えられている。然しな がら奥居合の居業及ぴ立業は、多数の相手を想定した実働 的方技故、自己の所在を明らかにするような足首は厳に慎 むべきものとされている。依って、足音をも立てずに気剣 体の一致を図り、そうして部分的には基本方技に則りつつ 確固たる業前を演ずるところに、奥居合の困難さと奥深さ があると考えられる。

2.納刀について
正座・立膝の各業では、納刀は静かに徐々に納刀すれば 良いが、奥居合は多数の相手に対する業前故、刀身全部を 徐々に納刀する程の余裕のないものと考え、刀先が鯉口に 臨むや、直ちに刀身の概ね三分の二を一挙に納め、残り三 分の一を相手の状況に応じて徐々に納刀する。この点も奥 居合の精神と実技に則って考案されたものと考えられる。

3.業全般を通じての特徴
業前の状況が一対一の場合と一対多数の場合とでは、方 技の部分部分に於いて残心的心情より生起するあらゆる応 変的態度にいろいろな相違点を生ずるのである。例えば、 残心にしても一対一の場合は、概念的には一人の相手に対 する残心的気迫をもって足るものと考えられるが、一対多 数の場合であれば、対敵観念の連鎖的なものであり、自ず ら態度に於いても異なるものと考えられる。また納刀にし ても、一人対一人の場合は対敵観念の下に徐々に納刀して も可能ではあるが、一人対多数人の場合には、発動し得る 体勢を常に備えておくことが必要である故、納刀しても概 ね三分の二を一挙に納刀し、残りを徐々に納めることとし、 いかなる場合にも直ちに発動し得る体勢を整えておくよう、 理合に照らして考案されたものと考えられる。いかに斯道 に熟達しても所詮は人間の仕業故、一人対多数人の場合に は、何時でも斬撃出来る体勢を早く備えておくことが必要 であり、この体勢の早い者が常に優先的地位にあることは 理の当然であり、奥居合の諸々の仕業においても、このよ うな考えと実践が各技を通じて一貫して具現されることが 重要である。然も個々の方技が、基本的なものの集積連鎖 でなければならない所に非常に難かしい点が存するのであ る。また、多数の相手に対する技法の斬撃には、片手の場 合、両手の場合、或いは片手刺突の場合等種々の方技があ が、それ等はその方技の如何を問わず、完全に相手をたお し得るよう心掛けるぺきである。例えば、「戸詰」・「戸 脇」の業にしても、右前の相手並びに左後の相手は片手で の斬撃刺突であり、その直後に両手での斬撃を実施する故、 ややもすれば前者の方技を形式的に実施する者もあるが、 いかに早業を必要としても、斬撃を果し得ないような所作 では、理合に照らして誠に不完全なものと言わざるを得な い。故にその方技の遅速にかかわらず、総て個々の方技が 完全に効果を現わすような技法が必要である。特に片手斬 撃の技法は両手技法の効果より劣るもの故、腕カ並ぴに体 を捻る力により、両手技法に匹敵する程の工夫と努力が必 要である。この「戸詰」・「戸脇」のように、片手での斬 撃や刺突を伴う業前において、我々は片手では両手程の効 果のないことを知りつつも、残心を実施し斬撃効果を十分 見届けるのは、効果を十分と考えられる両手斬雙に対する ものであり、効果の少ないとされる片手の斬撃や刺突の方 へは配意しないのが通常であり、業前の理合よりすれば、 全く相反するものとさえ考えられるのである。このような 点より考えても、片手での斬撃・刺突には全体力を傾注し、 その場合の理技の許す限り、十分効果のあるような仕業が 必要であると思われる。この点ややもすれば、疎かになる 片手での斬撃や刺突を形式的に実施し、両手斬撃に渾身の 力を活用している者が多いように見受けられる故、この点 を十分考慮し研究し、そうして理技に合致するように努力 することが望ましい。奥居合の居業については、以上のよ うな片手並びに両手、或いは前後左右の業により、効果的 相違を来たさないよう特に留意すべきであろう。