師伝芥考 土佐の英信流

範士 岩田憲一


岩田先生のご厚意により著書「師伝芥考」から抜粋して掲載させていただいています。

1.居合道の意義

居合道は、古来相手の不意の攻撃に対し、先又は後の先をもって鞘放れの一刀で 相手を制する刀法であって、剣道と共に武士の間で創案され修練されたものである。 剣道が刀を抜いた後相手を制するのに対し、居合は、「勝負は鞘の内にあり。」と 言われるように、抜刀する前に先ず気をもって相手を制し、然る後刀を下ろそうとするものである。

2.居合道の目的

居合道の極致とするところは、修練により常に鞘の中に勝を含み、抜かずして相手を制することである。 このような奥深い古典の刀法を修練すると共に、身体の運用を図り、心剣一如の妙要を悟り、 併せて人格の練成に努めることを目的とする。

3.居合道の沿革

足利時代の末期に奥州の住人林崎甚助重信が、山形県楯岡市の林崎明神に参籠して神明の加護により 抜刀の術の精妙を得て、自ら林崎甚助流又は夢想流と称えたのに始まるもので、それ故に、抜刀術の 中興の祖と言われるようになった。以来代々その流儀を伝承し、且つ幾多の分派を生じたが、中でも 正流第七代長谷川主悦助英信がその業特に秀で、始祖以来の達人と言われ、自ら古伝の業に独創的な技を 加えて流名を無雙直伝英信流と改めたので、その後この流儀を略称して、長谷川英信流、或いは英信流と 呼ぶようになった。そうして、長谷川英信は享保の頃江戸に於て研究大成し、晩年高知に帰って大いに 道を広め、幾多の逸材を輩出し、その後高知に伝統を固着せしめるようになったのである。そうして、 正流第十一代大黒元右衛門の頃になって二流に分かれたが、その代表的なものに谷村亀之丞(正流第十五代)・ 下村茂市(下村派第十四代)がある。 故に正流を谷村派、後者を下村派と呼ぶようになった。然し、この両者はそれぞれ別個のものでなく、 ただ研究の方途に少々異なるところがあるだけであって、流名には何等変わるところはないものと考えられる。